ハマダ伝・最新版

作:濱田 哲二



『ハマダ伝・最新版』 その11 「カポン!」のハマちゃん  

この頃、私の夜の行動の中心になっていたのが、何と言っても新宿の
奈加多家だった。このお店は、前にも書いたトコちゃんという看板娘が
いた飲み屋さんである。
いつも美人のママとトコちゃんの2人がカウンターの向こうにいて、
私たちを迎えてくれた。流行りだしたカラオケが置いてある店でもあった。
最初に行った頃は、もちろん、まだ、カラオケボックスや通信カラオケなど
当然ない時代だったので、VHSのテープのような大きさの カラオケテープ
を再生装置に手動で入れていた。

奈加多家ではこのカラオケも売りもので、看板娘のトコちゃんは山口百恵
をまるで本人のように歌い、私たちがカラオケで歌う合間に聴かせてくれた
のである。

もともと、この店に私たちを連れて行ってくれたのは、時々、この『ハマダ伝』
に登場してくるアッシーで、彼が私たちの中では一番足繁く通っていた。
この奈加多家は、新宿コマ劇場の裏を区役所通りに歩いて行った方で、
歌舞伎町の外れといった場所だった。美人母娘がいる割に店はうらぶれた
感じで、その落差がたまらなく良かったのである。

私の記憶では、この奈加多家には会社が終わって一番で来るということは
あまりなく、いつも2、3軒目に来る店だった。
青山一丁目では、「八百もり」という居酒屋で飲むことが多く、ここでケッコー
飲み、ゴールデン街の「NOV」などに寄り、それから奈加多家というコース
が多かった。
だから、奈加多家に着いた頃は、もうすっかり酔っていることが多く、
そこで、私は、この奈加多家で深夜零時を過ぎた頃「カポン!」と抜けるの
だった。だから、「カポン!」のハマちゃんなのだ。

この「カポン!」とは、酩酊状態で自己制御が出来なくなりましたという合図
である。 「来た、来た、抜ける、抜ける」と言いながら、両腕を脇に沿って
ズリ上げ、 チューリップが開いたというようなアクションをしながら、
「カポン!」と叫ぶのだ。

こうして私は「カポン!」と厳しい日常から脱却し、ひと時の開放を味わった
のだった。 もうこうなると、何をやったか、何を話したか、あまり覚えていな
かった。こんな風に明日のことはまるで考えずに痛飲することは相も変わら
ずで、次の日は、早くても昼出社。再びネオンが灯る時間にやっと出社する
ことも間々あった。

 

又、この店には、新宿コマ劇場の近くだったので、コマに出演していた
佐山俊二が、時々、飲みに来ることがあった。
佐山俊二は、八波むと志が交通事故で亡くなった後、由利徹と南利明
の2人になった脱線トリオのメンバーになった芸人さんだ。
細身の年寄り顔で、どちらかといえば脇役が多く、ボケのキャラクター
だった。その佐山さんが、私とアッシーの隣に座ったことがあり、
アッシーの顔を繁々と見詰め、「私に、そのあんたの顔があったら
大スターになれるんだがなぁ〜」と羨ましそうに言ったのを、
今でもはっきりと覚えている。
つまり、わが友アッシーは、芸人も羨む個性的な顔の持ち主ということ
なのである。

そして、この奈加多家では、ブレイクする前の竹中直人がよく来ていて、
我々の仲間、芸達者なヨシヤとかくし芸合戦に火花を散らしたなどという
懐かしい思い出もあった。
仕事も順調、遊びも順調、文句のある奴は矢でも鉄砲でも持って来いと
いった、怖いもの知らずの時代だった…。

そうそう、新宿コマ劇場といえば、コカ・コーラ1リットルサイズに出演して
もらっていた、日本のお母さん・京塚昌子さんとラジオCMのコピーの
打ち合わせをするために、コマの楽屋を訪問したことがあった。

美空ひばりの定期公演のお芝居に出演していた時のことだった。
楽屋裏の通路で、私は、ドテラのようなものを着込んだ目のギョロリとした
小母さんに出会った。その小母さんが京塚さんの楽屋で打ち合わせを
していると、暖簾から顔を出し、「昌子ちゃん何してんの」と声を掛けて来た。
「あら、ママ。(とても恐縮したように)時間がなかったので、ここでコマー
シャルの打ち合わせなの」と京塚さんが言った。
ママとは、お嬢のママ。つまり、美空ひばりのお母さんだった。
一見、普通の小母さんといった風体なのだが、そう言われてみると芸能
雑誌で見たことのある顔で、改めて見ると凄い貫禄なのである。
そう思った途端、私はいきなり威圧感を覚え、身を硬くしたのを覚えている。

私がナマ健さんに会ったのも、この2、3年後だった。
やはりコカ・コーラのCMで森繁久弥さんを東宝で撮影していた時のこと、
同じ日に撮影していた高倉健さんが、森繁さんがCM撮りをしているのを
知り、私たちのスタジ才に挨拶にやって来たのだ。
多分、「居酒屋兆治」を撮っていた時のことだったと思う。

健さんは、Gパンで白のTシャツ。黒の野球帽を被っていて、その帽子を
取ると、篤く先輩に礼を尽くす感じで森繁さんに丁寧に一礼すると、
「勉強させて貰います」などと、あの『唐獅子牡丹』の「死んで貰います」
みたいに言うと、1カット撮り終わるまでその撮影を例の鋭い目でジッと
見詰めていた。
そして、監督のカットの声が掛かると、森繁さんにニッコリ微笑み
「勉強になりました」と言って、一瞬テレたような森繁さんに再び一礼を
すると、颯爽とスタジオを去って行った。その後姿には、風が吹き、
オーラが出ており、ホント、カッコよかったのを今でも忘れない。

この森繁御大のCM撮影では、もうひとつ忘れられない思い出がある。
「森繁大目玉事件」である。
それは森繁御大のトークCMで、森繁御大は眼鏡を掛けていたので、
顔の動きによっては、その眼鏡のレンズへライトが映り込んでしまうの
だった。そこで、「眼鏡にライトが映り込むんで、もう少しこちらの方を
向いてお話いただけないでしょうか」と監督が言った時だった。
突然、御大は台詞を止めて、「何を言ってるんだ、君は!役者が芝居
するのに、向きを決めて喋れとは無礼千万!それも言うに事欠いて
眼鏡にライトが映るから、映らない方を向いて喋ってくれだと!?
ライトが眼鏡に映らないようにライティングをするのが君等プロの仕事だろ。
長いこと芝居をしているが、こんな失礼なことを言われたのは初めてだ!
ふざけるな!不愉快だ!」
スタジオに雷鳴が轟いた。スタッフ一同、御大の怒りに凍りついた。
誰が聞いても森繁御大の言ったことは正に正論だった。
監督は即座に御大に侘びを入れると、休憩を入れ、再度ライティングを
し直し、緊張の中で撮影は再開された。
それは、森繁久弥ここにありの大目玉事件だった。

それから、ケンタッキー・フライド・チキンで、パーティー・バーレル
を初めて発売した時も印象に残っている。パーティー・バーレルとは、
クリスマス用にマッキャンもケンタッキーに協力して開発した商品で、
あったかいフライド・チキンと冷たいサラダやデザートのアイスクリーム
などが一緒に入っていて、これさえあればクリスマス・パーティーは
大OKというものだった。
CMは特撮で、バーレルの蓋が開き、順番に中に入っている商品が
空中に浮き上って行き、星空にレイアウトされるのだ。
ナレーションは…

あけてごらん。
パーティー・バーレル、新発売!
ケンタッキー・フライド・チキンに、
パーティー・セット。
アイスクリームにグリーンサラダが5人分。
パーティー・バーレル、新発売!
これさえあれば、ビックリスマス。
ケンタッキー・フライド・チキン。

このケンタッキーのCMでは、この後、まだ少女モデルだった
あの宮沢りえちゃんが頻繁に登場するのである。

宮沢りえちゃんは、栴檀(せんだん)は双葉より芳しで、チキンの食べ方
ひとつを取っても、他のモデルの子たちとは段違いだった。
やはりケンタッキーのCMで北大路欣也さんと共演したことがあったのだが、
あの大スターの前でも、まるで物怖じせず、京都の南禅寺でのロケで、
りえちゃんにとっては初めての剣道のシーンでも、北大路さんの教え通り、
胴を一本、それこそ堂々と取っていた。
正に、タレントというか、女優になるために生まれて来たような少女だった。
だから、その後、一気にスーパー・アイドルに昇り詰めた時も、私は、
それこそ、何の不思議も感じなかった。

そう、そう、そういえば、ニューヨーク白タク事件があったのは、
りえちゃんも出演したCMを、マンハッタンの特殊撮影スタジオ

撮影した時のことだった。


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