ハマダ伝・PART2  
月刊てりとりぃ



 (3) 月刊てりとりぃ その1


「月刊てりとりぃ」とは

古書ほうろう(千駄木)
・ディスクユニオン JazzTOKYO(東京都千代田区神田)
・ディスクユニオン神保町店
・ディスクユニオン新宿ジャズ館
・タワーレコード渋谷店5階
・Bibliotheque(東京・千駄ヶ谷)

といった都内各店舗にて配布されるフリーペーパーです。
そこに私のCM等に関する雑文が掲載されています。

「月刊てりとりぃ」
オフィシャルブログはここから

 歴史は、素敵な、教科書だ。The Coca-Cola TVCF Chronicles

私は、1970年〜2003年までの33年間、広告業界にいた。現在のマッキャンエリクソンの前身、マッキャンエリクソン博報堂に中途入社し、コピーライター、クリエイティブ・ディレクターとして55歳までお世話になった。マッキャンに入社した頃、コカ・コーラの広告は、うるおいの世界というキャンペーンを展開していた。

そんなコカ・コーラの1962年〜89年までのCF作品が収録されているのが、エイベックスから出ているDVD、The Coca-Cola TVCF Chronicles。このDVDを観て、どの時代もオリジナル曲にこだわって展開していたコカ・コーラのCFの素晴らしさに改めて感動を覚えると同時に、温故知新、この頃のキャンペーンの音楽戦略に、今でも通用する骨太さを感じないではいられない。

うるおいの世界の前には、コークの世界というキャンペーンをやっていて、♪ほんとのひととき ほんとの人生 生きてる時間〜という阿久悠・作詞で、西郷輝彦・歌のMソングがあった。この時の締めの歌詞が、♪人間は人間さコカ・コーラ〜だった。「人間は人間さ」という言葉には哲学さえ感じさせられた。そして、私も、阿久悠先生には遠く及ばないが、人気作詞家の方々とのコンペに勝って、Come on
in.Coke'78のテーマ、"はだしで地球を駆けるのさ"を作詞させてもらっている。

ところで、最近の広告のキャンペーンソングは、どのように創られているのかちょっと分からないが、私がいた頃のコカ・コーラの音楽制作のやり方は、なかなか豪儀なものだった。キャンペーンのテーマが決まると、CM音楽プロダクション3〜4社に前述したようにコンペを依頼。その頃売れっ子の作曲家、作詞家にクリエイティビティを競ってもらったものだった。そして、テーマソングが決まると、今度は色々なアーティストにアレンジを変えて歌ってもらったのである。山下達郎がアカペラで歌ったCome on in.Cokeは絶品だった。

The Coca-Cola TVCF Chroniclesには、♪スカッとさわやかコカ・コーラ〜と歌っているフォー・コインズの初期のものから、加山雄三、グレン・キャンベル、矢沢永吉など豪華な歌声が収録されている。パッケージ化する時には、複雑な権利関係に往生したという。日本広告史に燦然と輝くさわやかサウンズの数々、これらは、どれも広告音楽を創るに当たっての素敵な教科書だと思う。機会をみて、ぜひ、ご鑑賞のほどを.。(マッキャンOB 濱田哲二)

シングル盤レコードが発売されて、これは、ソノジャケット。

はだしで地球を駆けるのさ

     作詞:浜田哲二

あぁ光の中を あぁ風のように
はだしで地球を 駆けるのさ
このさわやかな 世界へ
Come on in the shining way

晴れた空だよ 明日が見える
自由なこころ 若さが走る
Come on  Come on

さぁ ラジオの音に 
ほら 耳をすまし
やさしい心で 歌うのさ
このさわやかな 暮らしを
緑の窓辺で

いま僕は喜びにみちた
汗の匂いが 好きだよ
光る朝陽の中で風も君に微笑む
Na Na Na Na 素敵な日々
Na Na Na Na 今日も

あぁ 陽ざしの中へ 
あぁ 君をつれて
はだしで地球を 駆けるのさ
このさわやかな 世界へ
Come on in the shininng way

*晴れた空だよ 明日が見える
自由なこころ 若さが走る
Come on  Come on

*くり返し

 シズル感を大切にした、 トーン&マナー。ケンタッキー・フライド・チキン

あの頃、私たちがCMを考える場合、どんなCMにするかという、表現のベースになっていたのが「トーン&マナー」をどうするかということだった。 もちろん、今のクリエイティブの現場でも多分、同じなのだとは思うのだが、これは、1986年、今から、29年前の話しである。

このポイントを生かして創ったCMがKFCのオリジナルチキンの広告だった。タレントは、もうその頃から大物の予感がしていた、まだ少女だった宮沢りえちゃん。オーディションの時、チキンの食べ方が抜群に上手くて感動したのを覚えている。



そして、撮影とディレクションは、その頃、シズルを撮らせたらUSAでNo.1の呼び声も高かったフィルマルコというカメラマン。もちろん、撮影場所は、ニューヨークにある彼の撮影スタジオ。野菜などの瑞々しさを出すために、彼が独自に開発した撮影システムで、確か20倍というハイスピードを駆使して撮影したのを記憶している。

ところで、「トーン&マナー(Tone and Manner)」とは、どういうことなのかというと、ビジュアルやオーディオの全体的な雰囲気のこと。同じタレントを起用するのでも、若々しくはつらつとしたトーン&マナーと、活動的でコミカルなトーン&マナーとでは、受ける印象が全く異なるというようなことなのだ。 私の場合、この頃、食品や飲み物を扱った商品のCMが多かったので、CMのトーン&マナーとして、いかに「シズル感」を出すかということに意識を集中していたのである。

この「シズル(Sizzle)」とは、その語源は、ステーキを焼くときに発生するジュウジュウという音のことである。人は生の牛肉のかたまりを見ても食欲はわかないけれども、ステーキを鉄板で焼く音(シズル)によって食欲が刺激される。つまりシズルとは、人の官能を刺激して魅力を作り出すもののことをいうのだ。

この究極のシズルを出すために、NYまで行って撮影したKFCのCM。りえちゃんの出演カットは、チキンを食べる1カットだけ。そのわずか1カットのために、わざわざニューヨークまで来てもらったのだが、もちろん、一緒に来たのはあのりえママ。今は、残念ながら、もう天国の人になってしまわれたが、マンハッタンでの一夜、いっしょにバーボンを痛飲したことが懐かしく思い出される。りえママは、私と同じ世代である。(マッキャンOB、濱田哲二)

 とっくりに生ビールを、入れちゃったぬき。

それこそ、今は懐かし日本昔ばなし。今回はアサヒ生とっくりのおはなし。CMのナレーションには、市原悦子さんとふたりで「まんが日本昔ばなし」の語りを担当していた常田富士男さんを起用し、美女たぬきの役には、当時、話題だったミュージカルのキャッツよろしく、ニューヨークでオーディションした外人トップモデルを3人起用。CMソングには、アーサー・キットの「ショー・ジョー・ジ」を使って、「たんたん楽しくぶらさげてるかい」とやったCMを、1984年に創った。



よく時代はくり返されると言うが、ビールの中身と容器というのは、どうやら交互に来るトレンドのようだ。現在のビール業界の傾向はといえば、ノンアルコールや、糖質ゼロを代表とする傾向配慮型や、エクストラコールドを代表するプレミアム型など、どちらかというと中身重視である。

しかし、5〜10年ほど前は、アサヒのスタイニーボトルのようなファッション性や、キリンの樽生サーバーのような家庭における本格派を訴求するなど、容器の工夫で商品化が進むという時代があった。それより以前の1990年代にはアサヒスーパードライを発端としたドライ戦争があり、もっと前の1980年代には、ミニ樽ブームが火をつけた、私がやったアサヒ生とっくりのような、面白容器戦争の時代があった。

このCMは、確か広告代理店の3社競合だったと思う。新製品なので超極秘と言われて商品のオリエンテーションを受けたのだが、会議室で商品を見せられた時のことを思うと、今でも、思わず笑ってしまう。ビルの高層階にあるガラス張りの会議室だったのだが、担当の宣伝部の方が、ブラインドを全部閉めてくださいと大仰に言って下界の景色を遮断してからやおら箱の中から取り出したのが、生とっくりというロゴの入った2?入りの貧乏どっくりだった。

不謹慎だが、それがなんとも可笑しくて、吹き出しそうになるのを必死で堪えたのを思い出す。広告屋というのは、つくづく変な商売である。バブリーな時代だったので、オーディションだけにニューヨークまで行き、3人の狸姫を東京に呼んで、ショ ショ ショー・ジョー・ジと踊ってもらうという、大散財。あれは夢幻と狸御殿体験が嘘のような切ない思いもしないではないが、こうした一見馬鹿げて見える散財こそが、 実は、文化というものではないのだろうか。
(マッキャンOB 濱田哲二)


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