ハマダ伝・最新版

作:濱田 哲二



『ハマダ伝・最新版』 その23 ギャラリー工【こう】オープン 

まずは、平成7年9月26日(火)の東京新聞に載った、
ギャラリー工【こう】の記事である。

  

生まれ育った谷中にギャラリーオープン
結婚して気付いた ふるさとの魅力
杉並の主婦 浜田郁子さん

台東区の谷中霊園入り口近くにこのほど、ギャラリー&アートショップ
「工(こう)」=谷中七ノ四=がオープンした。美術館や東京芸大に
近い谷中は最近、銭湯や質店までがギャラリーに変身、ちょっとした
ギャラリーブームだが、こちらは谷中で生まれ育った主婦が、結婚
して気付いたふるさとの魅力にひかれて設けたスペース。
来月、街ぐるみで開く「谷中芸工展」にも参加するという。

オーナーは、杉並区の浜田郁子さん(四七)。実家は歯科医院だった。
七年ほど前、兄が六十六平方mの敷地に地下一階、地上三階建てに
建て替え、地下と一階を生花店に貸していた。
半年前に空いたのを機に、浜田さんが収集していた陶芸品や織物の
ショップとギャラリーを開くことに。

ギャラリーを持つことは“もともと芸術好きだった浜田さんの長年の夢。
しかし、東京芸大が近く「古くて新しい」谷中が、その対象に見えてきた
のは結婚してから。「住んでいるところが丸ノ内線新高円寺駅近くで、
ガチャガチャしているものだから、実家に帰ってくると、ホッとするんです」

八年前に、谷中のギャラリーの走りとなった「アートフォーラム谷中」
(谷中六ノ四)ができ、二年前には、蔵のある質店が「すぺーす小倉屋」
(同七ノ六)に、川端康成も入浴した銭潟「柏湯」が「スカイ・ザ・バスハウス」
(同六ノ一)とギャラリーへ変身。
「分かる気がした」という。「谷中に自分がやれるスペースなんかない」
と思っていたところ、偶然、実家にチャンスが。

「これからちゃんと谷中を見直さなければ」と張り切る浜田さん。
約三十二平方mの広さのギャラリーに「芸術好きが気楽に付き合える
場所にできたら」と、広告の仕事をしている夫、哲二さん(四七)の
カメラマンやデサイナーらのコネで企画を練る毎日だ。

まず、まだこの頃は、現在使っている戸籍謄本に書かれている濱田ではなく、
簡単な浜の字を使った浜田と表記していた。私が会社を辞めて、第二の人生
を歩くことになったので、自分の中で新たな出発という思いから、浜田の表記
を謄本と同じ濱田にすることにしたのである。だから、まだ、この頃は、
「浜田」表記だった。

そう、この記事のように家人の兄の家作が偶然空いたのを機に、家人が子育
てが一段落したこともあり、私の裡に、何となく思い描いていたギャラリーを
家人を中心に開こうという思いが、突然、炎のように燃え上がったのだった。
と、私の性格上、矢も盾もたまらなくなり、猪突猛進、兎に角、家人を口説き、
一気にギャラリー工【こう】オープンに漕ぎ付けたのである。
これは、今でも、間違った選択ではなかったと思っている。
そう、多分これが、私の「チャレンジ・ネックスト」だったのだ。

ところで、最初、私は、ギャラリーの名前を「樂」としようと考えていた。
きっとどこかで、私たちはキュレーター【curator】としての専門知識を
学んだ訳でもないし、アートのプロフェッショナルでもなかったので、
一歩引いた気分で、楽しみで、道楽で、という思いが強かったのだろう。
前にも話したが、私の亡父は書家だったので、彼が隷書で書いた、
自作の五言絶句の中から「樂」の字を見つけ、それをギャラリー名と
ロゴにするつもりだった。ギャラリー樂である。

これを、ある日、マッキャンを退社し画家として自立した野又穫氏に
渋谷のとある喫茶店で相談したのだった。
すると、彼曰く、「樂」という名前には、プロフェッショナルにやって
いこうという緊張感がないし、甘えを感じるので、自分としては薦め
ないということだった。
そして、その時、亡父の五言絶句の「樂」の次にあった「工」を指して、
例えば、この「工」といった文字の方がプロフェッショナルなものを
感じるし、サムシングを感じるという。
私は、その時、何となくアド・マンの感性で、野又氏の言っている
意味を瞬時にナットクした。
ンー、「工」はいいかも知れないと、直感のようなものが駆け抜け
ていった。と、もう、何の迷いもないのが、私の性格である。
即座に、ギャラリー工【こう】にしようと決めたのだった。
そこで、コピーライターの私は、さっそく、こんなコピーを考えた
のだった。

 

白楽工看馬 愚生拙胤書
黄泉慈母笑 頽朽若材樗

これを意訳すると、昔中国の白楽という人は頗る馬を看ることが
工(たくみ)な人であった。私は反対に書をつぐことは拙である。
他界した母は泉下でさぞ笑っていることだろう。
朽ちはてた役にたたない樗のようだね、と。
この五言絶句は、書家だった亡父が喜寿に創ったもの。
それを隷書で書いた作品の中のひと文字「工」を、このARTスペースの
名前とロゴとしました。

更に、ギャラリー工【こう】の説明コピーも創った。

GALLERY&ARTSOPE工

「工」、それはアルファベットなのか、漢字なのか、記号なのか…。
見る人、読む人、それぞれの感じ方で、結構なのですが、
通常は、画工、陶工、名工などという、「こう」とお読みいただきたい
と思っています。ところで時代は、本当に良いものだけを求めている
ような気がします。
そんな時代に向けて、上階は企画性に富んだギャラリーとして。
地階は昧わいのある生活アート・ショップとして。
どちらも「REMIX」というコンセプトに立脚した、
新しい価値観のARTスペースの創造を目ざしてまいリます。
「REMIX」とは、もともと音楽用語。ひとつの曲の中に、R&B、
ヒップ・ホップ、ジャズ、ソウルなどの要素が混在または融合していたリ、
70年代サウンドのカバーが甦ったリしている現象をいうのだそうです。
先入観や過去の経緯にこだわらない、自由な組み替え、組み合わせ。
そんなボーダレス感覚のコンセプトを、「工」でも積極的に取リ入れ、
いつも時代の気分にフィットする、「ARTのある暮らし」を提案して
まいりたいと考えています。

上階は、企画ギャラリー

 

GALLERY「工」は、絵画、書、写真、工芸等の創造的な発表の場。
約10畳と決して広いスペースではありませんが、作家たちの魂をこめた
こだわリの仕事を、ゆったリとした気分で観賞していただけるよう、
十分に心をくばったつもリです。
キャリァのある作家から、有望な新人作家、意表を突いたアマチュア
作家の個展、グループ展まで、企画プログラムもボーダレス。
季節感を大切にしたリ、土地柄を生かしたリ、時代性にこだわったリ…。
ひとつひとつの企画が、いつも個性的であリたいと考えています。

地階は、化活アート・ショップ

 

ARTSHOP「工」が考える生活アートとは、
実際に使う器だったり、家具だったり、織物だったり…。
インテリアとして飾りたい絵面や書だったり。
いつも暮らしの中にイキイキと存在して欲しい、
上質のアートたちのことです。
もちろん、ここでも、ジャンルとか常識にあまりこだわらない
「REMIX」感覚がコンセプト。
古いものもあれば、新しいものもあリ、和のものもあれば、
洋のものもあるボーダレスな品揃えが基本になっています。

ここは谷中の七丁目

 

池波正太郎の江戸切リ絵地図ではあリませんが、近頃の谷中は
ちょっとした散策ブーム。それも、その筈、まず寺社が多く、古の
アーチストや文人たらの夢の跡がそこかしこにあって、下町なら
ではの老舗、うまい店など点在し、日がな一日を歴史と文化の中
でたっぷり楽しむことができる。 こうした立地が、多忙な私たちの
心をホッとなごませてくれます。
そんな谷中の墓地中の桜並木や、露伴でおなじみの五重塔跡を
見ながら、何軒かのお茶屋さんを過ぎると、「工」が見えてきます。
日暮里ルート、千駄木ルート、上野ルート、色々ある谷中巡りの
ひとつとして、ぜひ、お出掛けください。

●JR日暮里(南口)下車徒歩6分
●地下鉄千代田線千駄木(団子坂出口)下車8分

こうしてギャラリー工【こう】は、1995年(平成7年)6月、
兎にも角にも、世間の荒波に船出をしたのであった。
この時、私は47歳。まだマッキャンの社員で、早期退職をする
55歳までには、8年の歳月が残っていた。


そして、その後、私が、目指したことは、「人生自然体」。
早期退職をして、しばらくして、こんな歌を作詞したのである。

花鳥風月

 (
クリックすると曲が流れます)

     作詞:ハマダテツジ

時には独り 詩(うた)を詠み
時には独り 街に出る
時には独り 居酒屋で
黙って冷(ひや)で 酒を飲む

花よ 鳥よ 風よ 月よ
近頃 俺は 自然体
呆れるほどに 自然体

いつでも俺の そばにいて
いつでも俺の 世話をやく
いつでも俺と この家で
多くを言わず 暮らす妻

花よ 鳥よ 風よ 月よ
ますます君は 古女房
呆れるほどに 古女房

これから二人 いつまでも
これから二人 何をする
これから二人 何処へ行く
果たせぬ夢を 追い掛けて

花よ 鳥よ 風よ 月よ
この頃二人 共謀者
呆れるほどに 共謀者

花よ 鳥よ 風よ 月よ
近頃俺は 自然体
呆れるほどに 自然体


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