ハマダ伝・PART2  
 月刊てりとりぃ 



 (5) 月刊てりとりぃ その2


「月刊てりとりぃ」とは

古書ほうろう(千駄木)
・ディスクユニオン JazzTOKYO(東京都千代田区神田)
・ディスクユニオン神保町店
・ディスクユニオン新宿ジャズ館
・タワーレコード渋谷店5階
・Bibliotheque(東京・千駄ヶ谷)

といった都内各店舗にて配布されるフリーペーパーです。
そこに私のCM等に関する雑文が掲載されています。

「月刊てりとりぃ」
オフィシャルブログはここから

  ロケが楽しい、CM稼業。ユタ州キャニオンランドに、岩城 滉一さんと。

早いもので、もう23年前になってしまった。アサヒビールからワイルドビートという深い味わいのビールが発売され、イメージキャラクターに岩城 滉一さんをお願いした。岩城さん、デビュー前は、舘ひろしさんとともに原宿・表参道を拠点にした硬派バイクチーム「クールス」で副団長をしていて、矢沢永吉さんがリーダーだったロックバンド「キャロル」の親衛隊として有名になり、タレントに。脚本家・倉本聡さんの「北の国から」の北村草太役は、若い頃の岩城さんの正に当り役だった。最近、日本映画専門チャンネルで再放送しているのでそれを観るのをとても楽しみにしている。

さて、CMの方だが、とにかくワイルドでビートの効いた作品をということになり、岩城さんとも色々とアイディアを交換。お得意先にも了解されて、正に渇きの象徴であるユタ州キャニオンランドにロケをするという案で決まったのだった。



コンテとしては、ギラつく太陽の荒涼とした砂岩地を歩いてきた岩城さんが渇きに絶えきれずワイルドビートを飲むと、突然、間欠泉が吹き上がるという内容。もちろん、キャニオンランドには、天然の間欠泉などなく、もしあったとしてもいつ吹き上がるか分からないものを待って撮影するなんていうのは到底無理な話。そこで、私たちは、近くのコロラド川から300メートルほどパイプを引いて、モーターで川の水を噴き上がらせるという仕掛けを作ったのだった。これがケッコー大変で、成功するまでに何度も失敗を繰り返しながらの撮影となった。


●間欠泉の仕掛け



●コロラド川から引いたパイプ



●カメラの前で記念撮影

そんな折、私たちは、ロケの合間をみてデッドホースポイントなどを訪れた。このポイントは、コロラド川が深く蛇行し、600m近い落差を目の前で見る事が出来る場所。昔、カウボーイが野生馬(ムスタング)を捕獲に来た際、カウボーイ達は良質の野生馬のみを選択し、残りの馬達はこの場所に置き去りにしたのだそだ。すると、残された野生馬たちは、元の荒野に戻るべく開け放たれたフェンスを何故か出ず、目下にコロラド川の豊富な水源が見えるので、ここを動かないまま脱水で全滅したという話。それがこの名前の由来であるとアメリカのロケスタッフが教えてくれた。

●デッドホースポイント

●岩城さんと記念写真・演出:久保田、AD:矢崎

ここで、私は、気に入ったカタチの砂岩を拾ってきた。その砂岩は、今もわが家のリビングに飾ってあり、とてもいいこのロケの記念になっている。
(マッキャンOB、濱田哲二)


 今も、昔も、CMといえば、やはりタレント。そして、キャスティングの妙。

私は、「McCANN ACTION」というマッキャン20周年記念冊子を保管してあるのだが、その発行日を見ると、1981年3月、今から34年前のものだった。何故、この記念冊子を引っ張り出したかといえば、最近、NHK BSプレミアムで、「アナザーストーリー・山口百恵・引退覚悟のラストソング」という番組を観て、確か、その頃、マッキャンでその山口百恵さんのCMを創っていたのを想い出したからである。



冊子には百恵さんのコメントもあり、そこには、「カシオのコマーシャルは私の本当の最後のお仕事になりましたが、親しくしていただいた貴社スタッフの方々に見送られて、芸能生活を閉じることができたことは、私にとって一番忘れ得ぬことであり、幸運であったと思います」と書かれていた。

彼女の日本武道館でのファイナルコンサートは、1980年10月5日だったから、本当に最後のCMになったのだ。担当した商品は、レディス・デジタル。この冊子によると、デジタル式腕時計がカシオにより初めて発売されたのが1974年、短期間でデジタル式はアナログ式の地位を逆転。そして、その次に発売されたのがレディス・デジタル。時代の花形であった彼女の起用は的中し、破竹の勢いでシェアを拡大していったとあった。

そして、このサクセス・ストーリーの後に、「当社のタレント起用はつねに商品イメージとタレントイメージの一体化のもとに行われてきた。コカ・コーラホームサイズ発売時に主婦のハートをとらえた加山雄三。アットホームなコカ・コーラ1リットルサイズの大きさを表現した京塚昌子。姿も形も美人ぞろいというチップスターの商品メリットを語った大原麗子」などとキャスティングの上手さ巧みさを喧伝していた。

ところで、私は、この頃、1リットルサイズの京塚さんのCMを担当しており、ある時、打合せに新宿コマ劇場におじゃましたことが。それは美空ひばり特別公演で、楽屋に通じる通路で神棚にどてらを着て手を合わせているダサいオバサンに出会った。どこかで見たことがある人だなと思いつつ京塚さんの楽屋に入ったのだが、その人が京塚さんの楽屋にひょいと顔を出し「何してんの」とひと言。「あら、ママ、いえ、ちょっとね、CMの打合せなの」とすっかり恐縮している京塚さん。瞬間、アッ!と私も気がついた。何とそれは、ひばりさんのママだったのである。(マッキャンOB 濱田哲二)

 「風来坊」「男は風です」、健さんもこのコピーも、つくづくカッコイイと思った。

今回は、自分の関係したCMのことは置いといて、今も、私の記憶に鮮烈な、私の好きだったCMのことを書いてみたいと思う。それは、私がクリエイテブ・ディレクターとして創ったCMでも何本か演出してもらった野田昭さん演出の今は亡き高倉健さんの三菱ギャランΣのCMについて。



イントロは、鈍色の海をバックにドンと大きな岩が置いてあり、そこから健さんが登場するロングショット。次は健さんのアップ。そして、再びロング。それから、健さんの背中のアップに堂々と「風来坊」というタイトル。その後、走っているギャランΣのカットに健さんの声で「男は風です」のナレーションが入る。健さんも、このコピーも、つくづくカッコいいと思ったCMである。

やっぱり健さんは、日本人にとって、男にとって永遠の憧れといえる。私は、その健さんに一度、お会いしたことがある。それは、私が担当していたコカ・コーラの森繁久弥さんのCMを東宝のスタジオで撮影していた時のことである。

健さんは黒い野球帽を被って、まっ白なTシャツとジーンズだった。いきなりスタジオに入って来ると森繁さんに挨拶をして、「勉強させて貰います」と、まるで唐獅子牡丹の花田秀次郎が「死んで貰います」というように言って、本番の撮影をジッと見ていた。そして、OKが出ると「勉強になりました」と笑顔で言うと、森繁さんがしきりに照れて何か言うのを、更に無言の笑顔で応えると、深々と頭を下げて、一陣の風が吹き抜けるようにスタジオを去っていったのを、今でもハッキリと覚えている。

健さんと森繁さんは森谷司郎監督の「海峡」という映画で共演し、この頃、健さんは東宝で「居酒屋兆治」を撮っていたと思うので、どうやら、こんな2ショットが生まれたようだった。先日、日本映画専門チャンネルで、その森繁さんの森繁対談という番組の第1回目に放送した健さんとの対談を観たのだが、ちょうど、それは、東宝でコカ・コーラのCM撮影をした前後のオンエアだったようだ。

「風来坊」、「男は風です」、私はコピーライターだったので、私も自分のCMにこんなコピーを、ぜひ、書いてみたかったと思っている。因みに、森繁さんのCMのコピーは、いかにもコカ・コーラのCMらしく「さわやかに生きる、いいですね」と言ったものだった。(マッキャンOB 濱田哲二)


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