2017年8月 もくじ

夏雲やのんき装いへらへらと
そう言えば金魚すくいが上手い妻
木下闇犬を聞き手に落語かな
癌という厄介ものと過ごす夏

夏雲やのんき装いへらへらと 端暮


落語によく出て来る俳句に「降る雪や根岸の里の侘び住ひ」というのがあります。「根岸の里の侘び住ひ」は慣用語になっており、頭の五文字はなんでもよくて、「散る桜」「新緑や」「盆の寺」となんでもよくて、この五文字を入れると、とりあえず一句となるという訳。これに倣ったのが、「夏雲やのんき装いへらへらと」なのであります。つまり、「のんき装いへらへらと」が慣用句。「秋高し」「冬うらら」「春の風」と季語を入れれば立派に一句。落語ではこれにつけ句があって、「それにつけても金の欲しさよ」という七七の語をつけ、これでひと通り完成ということになっています。

この「根岸の里の侘び住ひ」のことは、『荷風の誤植』「根岸の里」と題する文章のなかで、「都新聞」に連載された初代柳家小せんの「失明するまでに」の中に、小せん宅の運座の席で(八代目)入船亭扇橋が「梅が香や根岸の里の侘住居」と詠んだ句以来のものであることが書かれているということです。千葉県図所蔵の「都新聞 復刻版」を確認依頼したところ、大正4年11月23日・24日に該当記事があることがわかったとありました。


そう言えば金魚すくいが上手い妻 2017/8/27(日)


今年の谷中のお祭りは、本祭りだということです。
私の住む高円寺でも、高円寺阿波踊りがあるのですが、最近ではあまりにも有名になりすぎてしまい、何でも、高円寺の街は1万人の 踊り手と、100万人以上の観客が集まるそうで、演舞場に行くまでにも色々と規制が出来てしまい、殆ど行く気がしなくなっています。 きっと阿波踊りは、その掛け声通り、観るのは阿呆で、踊らにゃ損々なのだと思います。

一方、谷中のお祭りはといえば、もともと家人が生まれも育ちも谷中で、ギャラリー工を始めたのも谷中なので、こちらも縁が深いものがあります。お諏方さまこと、諏方神社の祭礼で、本祭は3年に1度で金曜日は宵宮、土曜日には町内神輿の渡御があり、日曜日の神幸祭に呼び物の大きな神社神輿が氏子地域を巡幸する。江戸時代に三代将軍徳川家光により社領五石を安堵され、日暮里・谷中の総鎮守として広く信仰を集め、旧暦7月27日の祭礼では、囃子屋台・山車をひきまわし、神輿を神田芋洗橋まで担ぎ、そこから船で浅草・隅田川を経て、荒木田の郷で御神酒を供えて帰座したと伝えられているそうです。




お諏方さまの参道には、いろんな露店が出ていて、もちろん金魚すくい も出ています。私は、この金魚すくいがドヘタですぐに紙を破いてしまう のですが、家人はさすが下町育ち、これがケッコー上手くて、5、6匹は お茶の子さいさいなのであります。


ですが、私には「吾亦紅」のヒットで大ブレークをした、すぎもとまさと こと杉本眞人作曲・ハマダテツジ作詞の「銀座のきんぎょ」という歌が あります。 武井咲主演で話題の「黒革の手帳」ではありませんが、 銀座のホステスさんを題材にした歌です。

銀座のきんぎょ (クリックすると歌がながれます)

作詞:ハマダテツジ

なぁ きんぎょ
夜店ですくった
まっ赤なきんぎょ
ある日 おまえは 
アケミと名のり
赤いドレスで ヒラヒラと
クラブ狭しと 泳いでた

なぁ きんぎょ
さっさと死ぬかと 
思っていたら
水があったか 天性なのか
赤いドレスで 恩返し
花の銀座で 夜の蝶

あ〜 あ〜
あ あ あ〜ぁ

なぁ きんぎょ
ついたあだ名も
ゴールドフィッシュ
すぐになったね 
ナンバーワンに
赤いドレスで したたかに
稼ぎ頭で レジェンドに

嘘も誠も どちらも銀座
男は水槽 女はきんぎょ
すくってもらって 磨かれて
エースのクイーンになりました
夜伽(よとぎ)ばなしに でてくるような
銀座のきんぎょの物語


木下闇犬を聞き手に落語かな 2017/8/28(月)


木下闇(こしたやみ)とは、木が生い茂って日光が遮られるため、樹下がほの暗いことを言います。夏の季語です。
さて、今年は、10月28日の(土)、久し振りに、あの高田文夫氏のプロデュースで毎年茨城県の笠間稲荷でやっている「かさま落語会」の開口一番をつとめようかと思っています。そこで「蔵前駕籠」の稽古をぼちぼちと始めているところです。稽古場は、朝夕の愛犬の散歩道や、大けやきの下。すっかり覚えたところで座り稽古に入ろうと思っています。

わがギャラリー工【こう】は、この9月4日には、杉並公会堂小ホールで、立川こはる勉強会30回スペシャルを企画・プロデュースし、実施するのですが、
「どうしてギャラリー工は、アートギャラリーなのに頻繁に落語の 会を開くのですか」などという質問を、よく受けることがあります。で、それにお答えすると、こういう事情からです。

もちろんご存じの方も多いと思いますが、私は、日大芸術学部の時、 落語研究会にいて、落語やお笑いのことと言えばこの人ありの高田氏 と日大闘争華やかなりし頃、一緒に落語を稽古した間柄だったりしたのが大いに影響しています。更に、
ギャラリー工を谷中にオープンした 頃、やはり高田氏にプロデュースをお願いして、芸人さんたちのアート展 「やなか高田堂」を開催したことも大きく、ますます芸人さんたちとのご縁 が深くなり、それからというもの落語会を開催する機会が多くなったという訳なのであります。

ところで、「かさま落語会」のことですが、毎年、会が近づく季節になると朝夕の愛犬との散歩の時や、家の者がいない時間などになると稽古をやっています。そして、いよいよ開催の日が間近になると浴衣を着て、最後の稽古にかかります。それをいつもCoCo(愛犬)が聞いているという塩梅。写真は、浴衣は着ていませんが、リビングでの稽古風景です。

第19回 かさま落語会 開口一番 枕の原稿

エー、いっぱいのお運びでありがとうございます。
この「かさま落語会」も、第19回目ということで、 大変なもんでございます。 今回はチラシにも載せていただきましたが、どういう訳だか、 第1回目から、皆勤賞で、開口一番をつとめさせていただいている私、 上から読んでも「喜楽家喜楽」下から読んでも「喜樂家樂喜」 ひたすら人生気楽に生きたい、
ただそれだけの「喜楽家喜楽」で ございます。

そう、普通の落語会ですとね、「若い前座さんから始まりまして、活きのいい二つ目の噺家さんが登場して、トリは、真打」ということになるんですが、この「かさま落語会」は違いまして、いきなり最年長、しかも素人の私が開口一番といことになっております。
これじゃ「かさま落語会」じゃなくて「さかさま落語会」ということになるんですが、ま、しばらくお付き合いのほどを願っておきます。

さて、さて、これからいよいよ落語を一席ということなんですが、高田先生から今回は君の『がん闘病』の話がいいんじゃないか、どうせ小噺なんかやったって受けるわけじゃなし、面白くないしネ、今回はさ、せっかく貴重な体験をしたんだから、だからさ君のとっておきの 「がんの話!」ネ、「がんの話」がイイな。がんの話ならみんな聞くヨ。怖いからね。それにほら「他人の不幸は、 蜜の味」って言うでしょ、今回はこれですよ、たっぷり君の「がんの話」で貫きましょう。
ということで、今日は「喜楽家喜楽のがん闘病記」ということでお話をさせていただきます。



などといった枕をこの時は考えました。そして、飲んでいた分子標的薬の副作用で声がしゃがれてしまったため、それからしばらくの間、
お休みをしていたのであります。

それにしても、月日の経つのは早いもの、あれから、もう4年が経ってしまいました。今年の枕は、こんな風に考えています。

エー、いっぱいのお運びで、ありがとうございます。
「かさま落語会」、今回は、いつもの嘉辰殿ではなく、この新しい稲光殿ということで、ちょっと緊張をしていますが、久し振りに開口一番をつとめさせていただく、喜樂家樂喜でございます。
前に高座に上がらせていただいたのは、4年前になります。
その時は、肝臓がんの手術をした直後で…
♪ガンバ・ルンバ ガンバ・ルンバ がんに負けるな ガンバ・ルンバ〜なんてんで、がん闘病記を喋らせてもらったんですが、早いもんですね、もう4年が経ちました。 お陰さまで、この通り、元気に生きてます。で、久し振りに一席やらなかないかということになり、お客さまのご迷惑も顧みず、こうして喋ることとなりました。
でも、相変わらずのがん患者であります。今は、肺に転移した肝臓がんを治すために、国立のがん研で治験を受け、まだ未認可の抗がん剤を使っての治療を受けています。
それにしたら、血色もいいでしょう。悪運が強いというか、何というか、どうやら薬が効いているようで、こうしてとても元気です。
それに、やはり、この落語ですよ。喋ったり、笑ったりすることは免疫力を高めてくれるようで…私の治療にも大いに役立っているようであります。といったところで、さっそく落語の方に入りたいと思います。

東京を江戸といいました時代には、交通機関は、馬か駕籠か船だったんだそうで。箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川。
屈強な駕籠屋さんになりますってえと、天下の険、あの箱根八里を、一気に登って下りたてぇますから大変なもんでございます。
で、町方ではと申しますと、宿駕籠と辻駕籠と2種類あったんだそうで。宿駕籠というというとちゃんと一軒店を構えていまして、今でいうハイヤーのようなもの。辻駕籠というと町を流して歩くタクシーに相当します。で、この駕籠に乗りまして、吉原なんていう結構なところに遊びに行く。「駕籠で行くのが吉原通い」なんていう乙な文句も残っていますが、少しでも早く行きたいてえのが人情でございまして…

と、今年は「蔵前駕籠」をやるつもりでいます。


癌という厄介ものと過ごす夏 2017/8/29(火)


一病息災とよく言いますがそして、、病は気からともよく言いますが、私はそれを信じています。
2014年2月肝がんが見つかり、手術をし、その後、嫌なことにそれが肺に転移をしたので、進行しないための投薬治療を続けていたのですが、今年、その分子標的薬が効かなくなり、病状が進行しているということで、家人がNetで調べてくれた局所進行・転移性幹細胞がん患者を対象とした、「治験」を受けるべく6月の頭に国立がん研究センター東病院に検査入院しました。その結果、検査に適合したので、6月26日から入院、27日から投薬を開始するということになりました。

私にとって、このがん治療は、第一期が帝京大学医科病院での肝臓の外科手術、第二期が肺への転移があり分子標的薬による投薬治療、今度が第三期で、治験による新薬による点滴治療ということになります。

この治験は、国内3施設と台湾2施設で、最大27名の対象患者が参加しているそうです。考えてみれば、その27名の中に選ばれたということは、本当にラッキー。そして、私の治験で採取するデータが、同じ病気の患者の役に立つのだから、それも意義のあることだと思っています。
因みに、私が参加している治験は、実験動物に投与され安全性が確かめられてきたが、まだ厚生労働省から承認されていない、研究段階の薬を使って行われている臨床第T相試験なのであります。

入院したのは18日間。熱が出たり、痛かったり、大変だったりしたこともありましたが、それこそ、のんきな入院生活を送っていました。
「病気になっても、病人になるな」と言いますからベッドにジッとしていないで、なるべく院内を歩くように心掛けていました。
そんな時、ロビーに貼ってあったポスターの「がんは勇気に弱い」というコピーが、心に響きました。ノートパソコンを持っていき、娘がポケットWifiでネットを使えるようにしてくれたので、Facebookへの投稿などもしていました。

このように、病院生活にも慣れてくると、色々、私なりの病院LIFEの楽しみ方をマスターしました。分子標的薬ネクサバールを飲んでいた時は、揚げたものは食べないようにが基本だったのですが、今は、それほど油ものに厳密にならなくても良くなっていたので、看護師さんにも確認して、脂っぽいものも食べるようになりました。

9階の食堂は、見晴らしも良く、食事の味も悪くなく、病院生活の気分転換には、とてもいい場所なので、時々、病院食をお休みして食堂のメニューを食べていました。入院してから食べたメニューは、醤油ラーメン、みそラーメン、ビーフカレー、かつ丼、etc…。

それから、日々の気付きにも、ささやかな幸せを感じていました。
例えば、散歩のつもりで行った病院の近くのファミリーマートで見つけたブレンディ・スティックがそれは優れものだったこと。
毎朝、朝食に付く牛乳でアイスカフェオレが気軽に作れて美味かったことが とても満足でした。病棟では、お茶とお湯のサーバーと製氷機が無料で使えるのも重宝しました。クラッシュアイスに近い氷だったので、
コカコーラに入れて飲むと最高でした。

又、病院内の売店では、夕食後のデザート、明治ブルガリアヨーグルトのいちご、ピーチ、ブルーベリーを日替わりで食べるのも楽しみでした。後、図書もケッコー充実していたので、家から持って行った村上春樹の「世界の終わりと、ハードボイルド・ワンダーランド」を読み終えた後は、池井戸潤の「ベーブルースゲーム」、火坂雅志の「上杉かぶき衆」、石原慎太郎の「天才」などを借りて読みました。

朝は早目からパソコンに向かい、午前中に検診や治療、昼食の後は昼寝、何もなければ、夕方まではパソコンを続けたり、本を読んだり。夜はテレビで野球を観るか、本を読むか。そして、9時半か、消灯の10時には、就寝という日々でした。

無事、退院した後は、外来での治験治療が始まりました。
朝、7時15分過ぎに家人の運転で自宅を出て、柏のがん研に到着するのが、8時45分頃、さっそく受付を済ますと、採血の順番を取り、治験管理室に。ここで血圧を測り、この日の説明を受け、採血。その後、11時頃、主治医の診療があり、採血の結果に問題がなければ、予定通り点滴投与に行ってくださいということになり、通院治療センターで受付。それから、点滴用の抗がん剤の準備を待ち、13時頃、呼び出しがあり、治療ブースへ。再度、採血があり、約1時間ほどの点滴投与治療を終えたところで、遅い食事。それから、2時間ほど院内で待機。16時頃、治験管理室で、再び血圧と体温の測定があり、治療による異常がないかを確認しプログラムが完了ということに。これは、1タイプの抗がん剤投与の時。2タイプ投与する時は、18時頃まで掛かりました。しかし、最近では、点滴終了後の院内待機がなくなったので、その分、随分、楽になりました。

こうして、この「治験」の投薬治療は、週一、木曜日、秋になっても ズッと続いていくことになります。


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