冬は、落ち葉履きが日々の仕事です。なぜならば、住む家の隣には、大きなケヤキが生えているからです。
(2015年12月11日撮影)
広葉樹を大事にするのは、この建物を設計した戸澤正則さんから引き継いだことです。吉村順三氏、奥村昭雄氏の建築思想の流れを汲む建築家でした。
この御縁で、吉村順三記念ギャラリーでの愛知県立芸術大学設計にまつわる展示に伺ったことがあります。そのとき、奥村昭雄先生がいらしていました。
お話を伺って印象的だったのは、痩せた土地に緑を得ようとするとき、針葉樹を植えれば早いが、敢えて時間はかかっても広葉樹を植えるということ。
その意味は、落ちる葉っぱが土になり、それが栄養分になり・・・というサイクルを繰り返し、豊かな土地をつくっていくということ。
住まう家は、同じような理想を追及した建物です。この1階でギャラリーを営み、色々な方たちに使っていただきながら、サイクルを守っていこうという生活は、困難が生じました。金銭的に維持することが難しかったり、家族が病を抱えたりしたからです。今は借りていた1階は手放して、3階に住みながら、落ち葉の掃除は続けています。
そして、欅の木は区の保護樹林になっています。毎年、暮れになる前に剪定の作業があります。思い切ってバッサリ枝を落としますが、夏になると、そんなことをすっかり忘れるように、葉が生い茂ります。
今年2017年の剪定会の置き土産は、コガタスズメバチの巣でした。欅の木の下にある、金木犀の枝に巣を育てたのです。
蜂には申し訳ないけど、パーソナルスペースが狭い都会の生活圏で見つかってしまっては、仕方なし。退治することになり、専門の方に診て頂いたところ、産まれた蜂は既に巣立ち、女王蜂もこの時期は巣から出て越冬するとのことでした。そして、働き蜂は冬になると死んでしまうのだそうで、寒いからと篭っていた数匹が、この巣に残っていたようです。
ちょっと罪悪感から開放されました。
空になった巣を再利用する事はないが、巣作りを成功させた経験を覚えていて、同じ場所に戻ってくる可能性があるで、それを、今後は気をつけた方が良いと学びました。
それにしても、この巣の色や形の美しさには驚きました。
(2017年12月3日)
こんなに大きなボトルのメイプルシロップを頂きました。
本場のカナダでは、そんなことはないのでしょうが、湿気の強い日本でボトルをそのまま外に出しておくと、カビが出ることがあると伺ったので、美味しいうちに、せっせとお料理に使いましょう。冷蔵庫に収めるのも至難の業ですので。
そこで、王道ですが、日曜日のパンケーキです。ホットプレートを食卓に出して、各々で "マイパンケーキ" をつくって楽しみました。
それから、ゆず大根をつくるときの甘味にも、メイプルシロップを使ってみたら、優しい味になりました。
(※写っている器は私物ではなく、「はじめいくこショップ」の売り物の杯洗です。ワンシーンの為に盛り付けたときのスナップです。)
柚子と言えば、今年は22日が冬至でしたね。南瓜煮が食卓に出て、柚子湯で身体を温めるという、健康優良な行事です。
只、この日は、中野坂上のモモガルデンに柳家小春さん(唄)志賀由美子さん(ギター)によるJAZZの会を聴きに出掛け、少し早いクリスマスプレートの食事をいただいたので、一日遅れて、家の南瓜の煮転がしをつまみました。
緩やかに、季節の行事を取り入れて遊んでいます。
物だらけの部屋というのに、憧れるところが、昔からあります。
たとえば、ロアルド・ダールが人生最後の年に書いた日記を1冊にまとめた「一年中わくわくしてた」という本の1月の章に、氏の書斎にあるものがずらりと書かれていて、そこを読むのが好き。
それから、淀川長治のホテル住まいのお部屋も、雑誌の写真で見て、こんな風になりたいと思いました。崩れそうに物だらけなのに、エレガント。
他にも、昔テレビで観た、オーストラリアにいる、ニワシドリという鳥の生態にも、なんだか親近感が沸きました。
と、言う反面で、片づけなくては!!と常日頃アタマの中で思っているのも確かです。
そんな私にとって、最近、荻窪のタウンセブンにある本屋さんで見つけたこの「片づけたい」という本、最高でした。捨てられない気持ちの肯定と、お掃除することの清々しさ。この両方を編纂するバランス感覚のすばらしさよ。
年末のお墓参りは小田原へ車で出かけます。長丁場ですので、ポットに温かい飲み物を準備して荷物に入れます。メイプルシロップで甘みを加えたレモネードを持っていきました。
70年代か80年代に買ったと思われるアラジンのポットは、まだまだ現役です。
小田原に着いてからは、毎年お決まりコースではありますが、農家の方が寄り合いで開いている野菜販売所に行くため、先ず山側へ。それから里へ下りて町に出て、御寺に参ったあと、鰹節屋とかまぼこ屋に立ち寄ります。
正月の御煮しめ用の里芋は、断然ここで手に入れると美味しいです。それから、見繕って買ってきた泥葱は、最低限の調味だけで十分。これは今年のうちに食卓に並びました。
ところで、この年末の小田原コースで、ちょっと前までは正月用の真蛸が手に入ったのですが、今は見かけません。
そういうことで関連した話でいいますと、先日、叔父が山東菜が手に入りにくいと言っていました。この時期につくる叔母の漬物は最高に美味しいのですが、がっかり。
そうやって思うと、お米のササニシキも、いつも手に入るものでは無くなりました。
真蛸とか、山東菜とか、ササニシキとか、無いからと言って贅沢して手に入れる前には諦めてしまいますが、そのうち言葉自体なくなって、自分でも忘れてしまいそうで、こうして書いておこうと思います。今のうちにどうにかして、無くならないのが一番ですけどね。
(2017年12月27日 農家の直売所で求めた水仙。枯色の多い中で嬉しくなる、フレッシュな花。良い香りです。)