作:濱田 哲二 |
『ハマダ伝・改作版』 その12 目次 |
骨董蒐集に嵌(はま)る日々
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骨董蒐集に嵌(はま)る日々 |
お宝ソング |
それでは、この骨董趣味を詞にしたものがあるので、ご披露しよう。 お宝ソング それは去年の 暮れでした いやぁ〜 月に一度の骨董市は 軽い気持ちの 筈でした いやぁ〜 時代桃山この信楽は そしてある日の ことでした いやぁ〜 買ってしまおか諦めようか こうした骨董蒐集時代。これは、これで、楽しい歴史を重ね、Antuque工へと、続いて来たのである…。 そして、この頃、家人をモデルに書こうとしていた物語が、創作ファイルから見つかった。そのキャラクターは、家人と、小田原に来て知り合いになった画家の秀美さんをミックスした感じのものだった。
その1 まねっ子カラスの巻 はじめまして。私の名前は、中山紘子(ひろこ)。結婚してから古川から中山へと苗字が変わり、著名なピアニスト中村紘子と一字違いが、ちょっと気になる35歳です。基本的には主婦なのですが、画家としてもマイペースで仕事をしています。2年に1度という割合で個展も開いています。 春のある晴れた日のことです。私は、いつものように家事を終えると、トレードマークの鍔(つば)あり丸帽子を被り、愛犬のジローを連れて、お百姓の政吉おじさんから借り受けた近くの畑、「Hiroko Farm」に、野菜や花の世話をする方々、スケッチに出掛けて行きました。 畑に植えてあるのは、大根やニンジン、キャベツや、菜の花がいっぱい ミント、レモンバーム、セージ、ボリジ、そして、上手に冬を越したフェンネル、など、など…。
私が手塩に掛けた、可愛い子供たちが いっぱいでした。 畑の周りには.田圃も多く、大きな川から、分かれ、分かれて、やって来た小川の流れや、農業用の用水が、あっちこっちでサラサラと音をたてていました。水が多いと、必然、水鳥たちも、よくやって来ます。 と、小川の向こうの土手道に、白鷺が一羽小首を傾げて立っていたのです。その姿は、あまりに優雅で美しく、私は持っていたスケッチブックを思わず開くと、その白鷺をスケッチしようと、注意深く観察しはじめました。 白鷺は その歌と、白鷺とカラスの動きが重なって、まるで芝居の当て振りを観ているよう。私は嬉しくなって、歌う口と、描く手を、それは一所懸命動かしました。 白鷺の
(それにしても、カラスのやつ、面白いったらありゃしない)私はそんなことを思いながら、夕食は何にしようかと考えはじめました。多分、主人は今日は東京泊まりで帰って来ないと言って仕事に出て行きました。私たちは、東京にも小さなマンションを持っており、夫は、出版会社勤めをしており、残業も深夜に及ぶことがしばしばでした。 この町は、山と海に囲まれた城下町で、気候は温暖、お魚は地のものが店先に並び、肉嫌いの私としては大歓迎だったのであります。近くには温泉もあり、最近では、ドライブがてら、たまに日帰りで温泉に入りに出掛けたりもしています。
私が今、とにかく夢中なのが、最初にも紹介しました「Hiroko Farm」であります。この畑にいると、それはもう幸せ。野菜や花や、飛んで来る鳥や昆虫たちを見ているだけで、もうウキウキとしてくるのでした。 それなのに、この畑を貸してくれている政吉おじさんは、畑のニンジンの葉っぱやパセリに黄アゲハの幼虫などを見つけると、剪定バサミでパチンと切ってしまいます。 私はそれが悲しくて、次から、「あっ、ダメ!」というと、その幼虫を家に持ち帰り、ビンに入れ、ニンジンの葉っぱやパセリを餌にアゲハになるまで飼育するようになりました。
そう、そう、この畑に来ると、今日は、白鷺とまねっ子カラスに遭遇しましたが、雉なども来るし、時には猿や狸などが現れたりもします。東京の下町生まれの私が、このカントリー・サイドで出会う、楽しいナチュラル・ライフを、私の挿絵入りで、これからも、あれこれと、お話して行こうと思っていますので、皆さま、お付き合いのほど、よろしくお願いね。 というところで、この「まねっ子カラスの巻」は終わっていた。私は、改めてこれを読んで、添削を入れ、そのうち又、続きを書ければなと思っているところである。そう、こんな話を書きたくなる位、私にとっても小田原のカントリー・ライフはとても充実したものだったのだ。 |
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