ハマダ伝・PART2 |
うたの記憶 |
『うたの記憶』その3 渥美清の歌 |
私は、こんな文庫本を持っています。映画評論家・吉村英夫著「へたな人生論より『寅さん』のひと言」。タイトルが言い得て妙なので、思わず古本屋で買ってしまった一冊です。でも、私が最初に渥美清を意識したのは、「男はつらいよ」の寅さんよりも、NHKの「夢であいましょう」の中の渥美清でした。谷幹一と二人でだったと思うのですが、壁に丸を描きながら、三橋美智也の「夕焼けとんび」の一節を「コンビがクルリと輪を描いた」(本当は、とんびがくるりと輪を描いた)と歌ったのが、可笑しくて、可笑しくてしょうがなかったのを、今でも覚えています。
でも、渥美清といえば、やはり、寅さん。寅さんといえば、口上です。 私、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。皆様共々ネオン・ジャズ高鳴る大東京に仮の住居罷りあります。不思議な縁もちましてたった一人の妹のために粉骨砕身、売に励もうと思います。西へ行きましても、東へ行きましても、とかく土地土地のお兄さんお姉さんに御厄介かけがちなる若造でござんす。以後、見苦しき面体お見知りおかれまして今日後万端引き立って宜しく御頼ん申します。 こんな口上もいいですね。 四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭いときた。どうだ、おい、よーし、まけちゃおう。 まかったつむじが3つ、七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で、竹の柱に萱の屋根、手鍋下げてもわしゃいとやせぬ。 信州信濃の新そばよりも、あたしゃあなたのそばがよい。 あなた百までわしゃ九十九まで、ともにシラミのたかるまで、ときやがった。どうだ畜生! さあこれで買い手がなかったら、あたしゃ稼業3年の患いと思って諦めます。 又、こんなのもありました。 結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻のまわりはクソだらけってね。タコはイボイボにわとりゃハタチ、イモむしゃ十九で嫁に行く、ときた、黒い黒いは、なに見てわかる、色が黒くてもらいてなけりゃ、山のカラスは後家ばかり、ね。色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないよときやがった、どう、まかった数字がこれだけ、どう、ひとこえ千円といきたいが、ダメか、八百、六百、よし、腹切ったつもりで五百両、もってけ、オイ! そして、こんなのも。 物の始まりが一ならば島の始まりが淡路島。泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、博打打ちの始まりは熊坂の長範、ねえ、兄さんは寄ってらっしゃいは吉原のカブ。産で死んだが三島のおせん、そう、ハイ、四谷赤坂麹町チャラチャラ流れる御茶ノ水、いきな姐ちゃんたちションベン! 香具師の啖呵売、いいですね。「男はつらいよ」の主題歌は、作詞:星野哲郎 作曲:山本直純。星野哲郎の詞もいいんですがこの歌は、やっぱり山本直純の曲がいいんでしょうね。 私は、この「男はつらいよ」もいいんですが、渥美清の哀愁が全面に出ている「遠くへ行きたい」と「泣いてたまるか」がそれこそたまらないのです。 「遠くへ行きたい」は、作詞:永六輔 作曲:中村八大の名作。1962年、NHK総合テレビの『夢であいましょう』の『今月の歌』として作られ、ジェリー藤尾が歌い、東芝レコードからシングルレコード(モノラル)として発売されたもの。そして、「泣いてたまるか」は、作詞:良池まもる 作曲:木下忠司。渥美清、青島幸男、中村嘉津雄が主演を務めた、TBS系列で1966年(昭和41年)から1968年(昭和43年)まで放映された1話完結形式の連続テレビドラマの主題歌。三番の歌詞がいいんです。 上を向いたら キリがない ところで、この「泣いてたまるか」の作詞家、良池まもるさんのことが気になったので調べてみたら、この良池まもるというのは、コロムビア以外の会社で作詞する時のペンネームで、本名は関沢 新一といい脚本家で写真家でもあるということ。脚本は、『モスラ』『キングコング対ゴジラ』などの特撮もの、『暗黒街の対決』『独立愚連隊西へ』『国際秘密警察 火薬の樽』などのアクションもので軽快なテンポと洒落た台詞回しを活かした作品を世に出したということ。テンポのよい掛け合いのような台詞回しは「もともと関西出身ということもあり、漫才が根底になっている」と自ら述べているとも書かれていました。 関沢 新一(良池まもる)さんの作詞作品 学園広場(舟木一夫) 私の好きな歌もいっぱい作詞していました。 |
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