ハマダ伝・PART2  
    うたの記憶



『うたの記憶』 その1 少年時代・下溝と磯部へ

この『うたの記憶』は、久世光彦著「マイ・ラスト・ソング」や、阿久悠著の「なぜか売れなかった ぼくの愛しい歌」、なかにし礼著の「黄昏に歌え」、倉本聰著「いつも音楽があった」などの向こうを張って、私の歌とのかかわりを徒然に書き綴っていこうというものです。ぜひ、おつきあいのほどを願っておきます。

ところで、私は、一応、作詞家であります。JASRACと著作権信託契約を結び、信託証書も持っています。今まで、私が書いた詞で、一番売れたのは、外資系広告代理店マッキャンでコピーライターをやっていた頃書いた、1978年コカ・コーラのキャンペーンソング「はだしで地球を駆けるのさ」であります。何という音楽祭だか忘れましたが、某民放テレビ局が主催していた音楽祭で、この歌は大賞候補に入り、特別賞か何かを獲ったと記憶しています。



そして、2014年10月には、「吾亦紅」でおなじみの作曲家・杉本眞人氏の作曲・プロデュースで「もったいないほどいい女」「銀座のきんぎょ」「言葉遊びのラブ・ウォーズ」「経営者ワルツ」の4曲をCD発売。「およげ!たいやきくん」の作曲家・佐瀬寿一氏と東急エイジェンシーOBの櫻井逸雄氏とやっているチャイルド・オアシス・プロジェクトのコンビでは、群馬テレビのマスコット・キャラクターのテーマ曲「飛んでけ!ポチッとくん」を佐瀬氏の作曲で、歌詞の方は櫻井氏と私で共同作詞。どうやら群馬では、このポチッとくんの歌、大変な人気のようであります。

といったところで、まずは、子供の頃の記憶から…。

夏休み、私が相模原にあった2軒の親戚の家に1人で1週間ほど泊まりに行くようになったのは小学校3年生の頃からだったような気がします。その1軒の親戚は、父の妹の家で、その妹が美容院をやっていました。その美容院を手伝っていた川島さんという小母さんの娘でキヨコさんという女性(ひと)がいて、このキヨコさんが小田原にあった美容訓練学校に通っていたことから、このキヨコさんに相模線で下溝という駅のすぐ前にある浜田美容室に連れて行ってもらったのが私の1人外泊の最初だったのです。

もう1軒は、父の弟の家で、下溝からバスで10分位の磯部という村にあり、その叔父さんは厚木の米軍キャンプで働きながら農業をやっていました。この2軒の家には既にテレビがあり(わが家はまだなかった) それを見たさに出掛けて行ったのであります。

 

下溝の家には5人の兄弟姉妹がいて、上から男、男、男、女、女。 一番下の八重子ちゃんは、私より1つ下。私より2つ3つ上の昌美ちゃんというお姉さんが私のことを良く可愛がってくれました。芸能ごとが好きで、ソフトボールが強い学校のレギュラー選手でもありました。

磯部の家は2人兄妹。暁弘さんと佳子さん。美容院にはいつも平凡、明星があり、磯部の家にも平凡、明星の付録の歌集が沢山置いてありました。私は特に磯部の家に泊まった時は、昼、叔母さんが畑仕事に出ている合間、 昼寝などする前によく歌集を見ながら歌を歌っていたのを覚えています。 もうこの頃から、私は流行歌が大好きだったのです。

これ以前に、私が歌に接したのは、やはり童謡やラジオ・テレビ・映画の主題歌。思い返してみると、私はこんな歌たちが好きでした。これは、幼年期から少年期を通して気に入っていたと思える歌ではあるが、大人になってからの思い入れも多少混じっている選曲になっているかも知れません…。

どうやら私の場合、メジャーな感じの曲よりマイナーな曲が好みで、まずは、「りんごのひとりごと」。これは、大人になってからUA(ううあ)の歌で聴いてますます好きになった1曲です。そして、「赤い靴」。♪異人さんにつれられていっちゃった〜には、胸にキュンとくるものが。それから、「あの子はたあれ」。これは故・小沢昭一さんが好んで歌っているようであります。そうそう、UA(ううあ)といえば、「月の砂漠」も好き。この「月の砂漠」は、それこそ多くの歌手が歌っており、小林旭も森繁久弥も歌っている。旭といえば「めんこい子馬」、「ちんから峠」の歌が投げ遣りでなかなかいい味を出しています。

叙情的な歌では、青葉の笛」、これは1958年製作 監督:稲垣浩、主演:三船敏郎、高峰秀子の「無法松の一生」の劇中にて吉岡敏雄少年が歌う平家物語を題材にした歌です。他に「やさしいおかあさま」、「花かげ」(安田章子時代の由紀さおりも歌っている)、「仲よし小道」、メルヘンチックな「夢のお馬車」、森の小人」、♪今年六十のおじいさん〜の「船頭さん」、「里の秋」、「ペチカ」なども、とても好きでした。

次は、映画やドラマの主題歌。まずは何と言っても「笛吹童子」と「紅孔雀」。そして、「一丁目一番地」、「ヤン坊、ニン坊、トン坊」、「赤銅鈴之助」、「月光仮面」、「少年ジェット」、「まぼろし探偵」、「鉄腕アトム」なだが大好きでした。

ところで、わが家にテレビがやって来たのは、ご多分に漏れず、1959年(昭和34年)4月10日、皇太子明仁親王と正田美智子さまのご成婚の少し前でした。それ以前は、ご近所とか、小学校の友だちの家、それこそ夏休みと冬休みに出掛けていた親戚の家、ラーメン屋とか食堂(もちろん有料で何かを食べながら)、電気屋を始めとする親切な個人商店の店先(無料)などで見せてもらっていたのです。 ドラマやバラエティーの他には、プロレス、相撲、プロ野球が、少年の私たちを夢中にさせていたのです。

私たち団塊の世代は、やたら人数が多く、小学生の頃、私たちの学年は6組まであり、1組に50人前後の生徒がいました。3年生の時は4組で、担任は小野仁先生。この年の学芸会では、小野先生が事の他入れ込んだイギリスの文豪 ディケンズの「クリスマス・キャロル」を演ったのを印象深く覚えています。

「クリスマス・キャロル」は、1843年刊の中編小説で、その後数年にわたって発表された5編の『クリスマス物語集』の第一作。主人公スクルージは人情のかけらもないけちん坊の守銭奴だが、クリスマスの前夜に、もと共同で事業をやっていた男の幽霊に会い、自分の過去、現在、未来の姿を見せられた結果、己の罪を悔い改めて人間らしい心を取り戻すという話。子供にもなじみ深い物語であるとともに、「クリスマス哲学」とよくいわれる、 ディケンズの社会観、人間観を端的に示した作品(Yahoo!百科事典より)なのです。

主人公スクルージを演じたのは、級長で、魚屋の仲買いの大店「鮑屋」の息子、市川クンでした。私の役は、時間の経過を表す時計で、クリスマスの三角帽子を被り、ボール紙で拵えた時計を持ち「午前2時」などと言うだけの台詞だったが、まずまずの役どころ。確か、女の子から借りた赤いジャンパーが衣装だったと記憶しています。

この小学3年生の時は、1956年(昭和31年)。正に、「三丁目の夕日」のあの時代。「ザ・20世紀」というサイトで調べてみると、小学3年の私は、 どうやらこんな歌を歌っていたようです。

<歌謡曲>

・「若いお巡りさん」(曽根史郎)(4月発売)
♪ もしもし ベンチでささやくお二人さん 早くお帰り夜が更ける 
野暮な説教するんじゃないが ここらは近頃物騒だ

・「東京の人よさようなら」(島倉千代子)(5月発売)
♪海は夕焼け 港は小焼け 涙まじりの 汽笛がひびく

・「リンゴ村から」(三橋美智也)[作詞:矢野亮](5月発売)
♪ おぼえているかい 故郷の村を 便りも途絶えて 幾年過ぎた

・「ここに幸あり」(大津美子)(5月発売)
♪ 嵐も吹けば 雨も降る 女の道よ なぜ険し

・「愛ちゃんはお嫁に」(鈴木三重子)[作詞:原俊雄](5月発売)
♪ さようなら さようなら 今日限り 愛ちゃんは太郎の 嫁になる 
僕らの心を 知りながら でしゃばりお米に 手をひかれ 
愛ちゃんは太郎の 嫁になる

・「哀愁列車」(三橋美智也)
♪ 惚〔ほ〕れて 惚れて 惚れていながら 行〔ゆ〕くおれに 
旅をせかせる ベルの音

・「どうせひろった恋だもの」(コロンビア・ローズ)(10月発売)
♪ やっぱりあんた
も おんなじ男 あたしはあたしで 生きてゆく

これらの歌を少年の私は、「平凡」や「明星」の付録の歌集に見つけ、磯部の親戚の家では、昼寝もしないで歌ったものでした。
磯部の叔母さんに、「何故、昼寝しないの」と言われ、「蝉が煩(うるさ)くて眠れないから」と言ったら、「お前の歌の方が、よっぽど煩かった」と言われたことを、今でもハッキリと覚えています。中でも、「若いお巡りさん」、「リンゴ村から」、「愛ちゃんはお嫁に」、「哀愁列車」をよく歌っていたように記憶しています。

<ポピュラーソング>

・Don't Be Cruel (Elvis Presley)
・ Hound Dog (Elvis Presley)
・Heartbreak Hotel (Elvis Presley)
<ある自殺者の遺書を掲載した新聞記事をヒントに書かれた作品>
・Love Me Tender (Elvis Presley)
<映画「やさしく愛して」の主題歌で、エルビス初の映画音楽ヒット>
・My Preyer (The Platters)
・What Will Be, Will Be「ケ・セラ・セラ」 (Doris Day)
<映画「知りすぎていた男」の主題歌>
・Long Tall Sally「のっぽのサリー」(Little Richard)
・ Be-Bop-S-Lula (Gene Vincent)

などが流行っていたようです。こうしてみるとエルビス・プレスリーの全盛時代。これらのポピュラーソングは、歌謡曲ほどではなかったが、何となく覚えやすいフレーズをいい加減聴き耳英語で口ずさみ、好きな曲は、中学生になる頃までには歌詞集などを手に入れ、より身近な歌にして歌っていたようであります。

 

実は、この頃や青春時代の想いなどを歌詞にしたものがあるので、ご紹介したいと思います。

帰り唄

 (クリックすると曲が流れます)


     作詞:ハマダテツジ

俺はあの頃 何してた
子供のくせして 唄ってた
平凡の歌集で 唄ってた
あの頃 良かったね
星は何でも 知っていた
あの頃 良かったね
夕焼け空は 赤かった
遊んで帰る 帰り道
エクボのあの娘は おさげ髪
あぁ〜

青春時代 何してた
ギター覚えて 唄ってた
マイナーコードで 唄ってた
あの頃 若かった
B級映画が 好きだった
あの頃 若かった
八月の砂 濡れていた
深酒呑んだ 帰り道
来た時よりも 遠かった
あぁ〜

そしてこの頃 何してる
やっぱり酒呑んじゃ 唄ってる
昔のあの唄 唄ってる
この頃 思うのは
遠いあの日にゃ 帰れない
この頃 思うのは
だけどあの日が 懐かしい
昔につづく 帰り道
唄っています 今日もまた
あぁ〜
昔につづく 帰り道
唄っています あの唄を


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